映像で残すことの価値


松本市本郷地区は、松本市の北東部に位置し、松本市の奥座敷と呼ばれる浅間温泉がある地域です。

かつては本郷村で、1974年(昭和49)に松本市と合併しました。

本郷歴史研究会の方たちとフィルム映像を鑑賞しました。

1940年(昭和15)の 浅間温泉
1940年(昭和15)の 湯坂
1940年(昭和15)の 冨貴の湯前

昭和10年生まれの方から20年代生まれの方々が、8名いらっしゃいました。

この時の記憶はさすがにない、生まれる前だからわからない、とはじめは重かった口調も、動画が始まり、段々と徐々に記憶の糸がスルスルと解けていき、蘇ってくる様子がわかりました。

食べるものがなかった、進駐軍に会うと「ギブミーチョコレート」と言ってねだった、ストリートチルドレンだよ。

家はお蚕をして生活していたが、家事で家が丸焼けになった。

青年団で映写係だった、フィルムを借りて来て映写会をした、ヤクザに呼ばれて、手伝ったりもした。

東京から嫁いできた。お花見の時期は本当に忙しかった、1日に2回も3回も食べるものを用意してお花見の支度をしていた。

終戦の時、燃料として桜の木が切られてしまった。

いちばん華やかな時代にお嫁にきた。観光バスが停まると、花火が上がった。芸妓さんは100人くらいいた。

村長との距離が近かった、それが普通だった、みんな友達だった。

都合が悪いことは「こうした方がいい」と言えば、すぐに反映された。

はじめは順番に語っていたものの、そのうちに思い思いに浮かんだことを自由に語る時間となっていきました。

あっという間に時間が過ぎていき、もっと話したい、もっと話しが聞きたい、と名残惜しくもありましたが、

次回は、この映像に映っている場所を歩いてめぐりましょう!

ということで幕を閉じました。

大抵のことは何でも答えてくれる小澤さん

古い映像の記録は、どんな内容であれ、とても貴重です。

動画に映されたものには、写真とは比べ物にならない情報量が詰まっています。そして、それを見る私たちにもたらされる現象は、可能性に満ちています。

上映会をして、座談会をする

それも出来るだけ多世代で。

面倒で地味だけれど、この活動をくり返し続けていく必要を感じます。

クラウドファンディング締め切りまで残り35時間

残り35時間、映像で残すことの価値を、この活動の意味を、わかっていただける方に伝えてください。心よりお願いします。